卵かけご飯道入門・実食の章

卵かけご飯道 師範

藤田 勝

卵かけご飯の作法

準備の章では、半分寝ぼけ眼のとりあえずベースで事を進めてきた。少なくとも過不足なく必要な3点(卵、醤油、ご飯)をそろえるまでは、ゆったりしたペースで慌てることなく進んでいただいて問題ない(ご飯の温度管理さえしっかりしていただければ、ではあるが)。しかーし!、調理実食においては、そのような生ぬるさは命とり。「精神一到何事か成らざらん!」の志を持ち、両の眼をカッと見開いて、実食完了まで、ゆめゆめ一瞬たりとも油断のなきよう努められたい。

調理から実食に至る一連の過程において最も重要なテーマは『スピード』である。温かいご飯の上に卵を割り入れる→混和①→醤油の投入→混和②→実食、以上の過程をいかに滞りなく迅速に、しかし確実に実施できるかが卵かけご飯の味わいを決める。ご注意いただきたいのは、一連の過程の中に実食までが含まれることである。すなわち、素早く作ってゆっくり味わう、というような心がけでは味わいを大いにしくじるものと心得たい。いわゆる時短料理とは一線を画する超時短料理、それが卵かけご飯である。以下に、各々の調理過程についての注意事項を述べる。

1.温かいご飯の上に卵を割り入れる

 すべての素材が滞りなく準備されていることを確認して、ご飯が適温のうちに、卵を割り入れる。卵を別容器に割り入れて醤油を加え、事前に混合撹拌したものをご飯の上に投入していくやり方(卵かけご飯道では『間接法』と呼ぶ)もあるが、わが流派ではご飯の入れてある茶碗に直接に卵を割り入れる方式(『直接法』と呼ぶ)を推奨する。これにより、食後の洗い物を一つ減らすことができるからである。

2.混和①

 箸を黄身に差し入れると同時に撹拌を開始する。撹拌は素早く、ご飯の端から中央へと撹拌範囲を広げながら20~30回程度撹拌する(撹拌時間:10秒以内)。混和①においては、卵とご飯全体を一気に混ぜ込むことは避け、ご飯の1/3程度を目標として混和するべきである。ご飯と卵の適正な混合比率を体得した卵かけご飯道上級者ならばともかく、中級までのレベルにおいて甘い見極めによる一気混ぜ込みは暴挙であると心得るべし。見極めの甘さは主にご飯の盛り過ぎとして表出することが多く、卵1個で賄えない量のご飯に強引に一気混ぜ込みを行った場合には、もはや卵かけご飯と呼べないスカスカな失敗作に泣くこととなろう。

また、卵と醤油を同時投入して混ぜ込むことも避けなければならない鉄則の一つである。詳細は次項目にて解説する。

3.醤油の投入

醬油は卵とご飯が撹拌状態にある場所に投入する。すなわち、卵でコーティング状態にあるご飯に対しての味付けと心得るべき操作であり、ご飯と醤油が直接に接触することは避けていただきたい。ご飯と醤油の直接接触は、卵かけご飯の味ムラを招き、本来あるべき仕上がりのマイルドな味わいを阻害する。

醤油の投入量は、卵かけご飯全体の味わいを左右する最も重要なファクターであり、適切な投入量の見極めこそ卵かけご飯道の核心である。「核心である」とは申し上げたものの、じつは卵かけご飯には、多くの料理レシピで示される『醤油小さじ1/4』的な決められた分量は、ない。食す人それぞれ、またその時々の体調によっても混合量の黄金比は変動し、核心は揺らぐ。今この時、自分の欲する量(すなわち味の濃さ)を正しく見極め、核心の揺らぎを自分のものにしてこそ、卵かけご飯道の上級者と言えよう。

醤油の過剰投入は、卵かけご飯の失敗を意味する。もちろん、塩分の取り過ぎは体にも良くない。よって、醤油投入量の見極めに自信のない初心者は、混和①に対して気持ち少なめの投入を行い、混和②の途中で味見して必要に応じ醤油の追加投入を行われるがよかろう。ただし、最初に申し上げたとおり、卵かけご飯の調理過程において最も重要なテーマは『スピード』。さにあらば、混和→醤油投入→味見→醤油投入→混和→味見→醤油投入→混和→味見…と幾度も微調整を繰り返すことは避けていただきたい。『醤油追加投入は1度きり』この心得を胸に刻むべし。

4.混和②

 混和①に醤油が投入されたところで、間髪を入れず混和②を開始する。混和②の目的は、投入された醤油の味を均等に広げると同時に、卵が混和されていない領域のご飯を混和①に取り込みながら空気を含ませるように混ぜ、卵かけご飯全体の濃度と含気率を調整することにある。理想を申し上げるなら、混和②において茶碗内のすべてのご飯に卵が行き渡り、味も濃度も満足できるコンディションに仕上がることであるが、これを体得するには相応の修行を必要とする。よって、初心者においては、混和①の領域をじわじわと広げていき、適正な濃度(箸でつまみ上げようとして塊りではつまみ上げられない程度の濃度)で卵が行き渡ったと判断された時点において混和を中止し、未混和のご飯領域が残っていたとしてもそれには目もくれず実食に移行していただきたい。なお、混和②においても、撹拌は極力素早く行い、撹拌時間の短縮を心がけなければならない。

より良き卵かけご飯道を実践するには、未混和の領域に未練を残さないことである。未混和を見切る勇気、撤退する気概、これぞ上級者の条件の一つであろう。未混和のご飯については、反省の念を込めつつ後ほどゆっくりいただけばよい。これもまた卵かけご飯道の修行と心得たい。

5.実食

「食事はゆったりと…」などという甘っちょろい気持ちでは、苦労して仕上げた卵かけご飯を台無しにしてしまう可能性が高い。できあがったら即実食、卵かけご飯道に『猶予』の二文字は存在しない。混和②が完了したと判断された時点で、何はなくとも一切の躊躇なく実食を実践していただきたい。混和①、混和②が始まるやいなや、卵と接触したご飯は水分を吸収し始める。これにより卵かけご飯の醍醐味ともいえる流動性は時間を追うごとに低下して粘稠となり、米粒はクラスター化へと向かう。流動性が維持されているうちに、そしてご飯温度が低下する前に、急ぎかき込むべし!

付則『工夫・修行・心がけ』

 卵かけご飯道の基本は、卵、ご飯、醤油によるハーモニーの実践である。とはいえ、より良き卵かけご飯とは、美味い卵かけご飯にほかならず、卵かけご飯道はこれを実現するためのあらゆる手立てを妨げるものではない。八方手を尽くし、使えるものは何でも使って味わいを高める努力を行っていただきたい。

従来より卵かけご飯道では、『卵かけご飯に対する化学調味料の使用』について原則的に禁じ手としてきた(100%禁止ではないが、使用する際には、後ろ指をさされぬよう隠れてこっそりと使用することを推奨してきた)。しかしながら、とりあえずベースによって進められる卵かけご飯において、たまたま冷蔵庫に置かれている卵に特別なパンチ力を期待することもまた困難である。そこにもってきて、小栗旬のあのCM(2016年放映/味の素株式会社提供)。これにより、『卵かけご飯に化学調味料』は広く世間に周知されることとなった。小栗旬に自信満々の口調で「味の素で卵かけご飯!」と言われ日には、もはや禁じ手とすること自体、意味がない。今さらこの行為に対して世間から後ろ指をさされることもないであろう。よって、卵かけご飯に対する化学調味料の大っぴらな投入を解禁とする。バンバン使え、とは言わないが、お好みで適宜使用してみられるがよかろう。このほか、できあがった卵かけご飯に何かを振りかけて味わいを加える(いわゆるトッピング)、市販の卵かけご飯専用醤油を試してみるなど、様々な工夫を凝らすことも卵かけご飯道修行の一環とみなしたい。

 卵かけご飯道を究めんとするものは、いついかなる時も卵かけご飯に対する意識を頭の片隅に持っておくことが肝要である。あなたがご飯を炊く役割を担う立場にあるならば、常に「これから炊くこのご飯で、もしも卵かけご飯を作ることがあるとしたら…」という想像力を働かせることである。お米マイスターほどの知識があれば、米の銘柄から選定できるのかもしれないが、そこまで凝る必要はない。いつもどおり取り置きしている米でも炊き加減などを少し工夫することで卵かけご飯向きのご飯を目指すことはできる。鎌倉幕府に難事あらば「いざ鎌倉!」で駆けつけんとする武士に似て、卵かけご飯の求道者はすべからく「いざ卵かけご飯!」という時を想定し、備えるべきこと怠りなく準備する心がけを持ちたいものである。

卵かけご飯に適したご飯の特徴は、やや硬めであること、そして粒感が明瞭であることだ。そのためには、水加減を微妙に少なめに設定する、白米だけでなくもち麦や玄米、あるいは雑穀類などを小量混合して粒感を出す、などが有効である。ただし、これらのご飯対策は家族全体の嗜好と齟齬がないよう、十分なすり合わせ(事前工作)を行っておかなければならない。普段食べるご飯をよりおいしく、健康的に、といった趣旨を前面に掲げ、「ま、これはこれで悪くないんじゃないの、しばらく続けてみれば?」と家族に承諾が得られた場合にのみ実施可能な炊き方であると心がけよう。一般家庭におけるご飯は、『卵かけご飯のために炊くご飯』ではない。炊いてもらう立場であるなら、なおさら強制はご法度である。あくまでも静かに潜航しつつ、来るべき時に備えられたい。

結び・道を歩むものに捧ぐ

腹八分目。何事においてもこの精神を忘れないようにしたい。ましてや、『とりあえず』で進めてきた卵かけご飯において、満腹感を得ようなどという不心得な目論見はもってのほかである。足りないくらいがちょうどよいのだ。よって、わが卵かけご飯道では『卵かけご飯のおかわり』を禁忌とする。

食べ過ぎは飽きを招く。いや、飽き、ならまだよいのだが、卵かけご飯においては、飽きに止まらず嫌悪へと向かう危険を常にはらんでいる(これは生もの料理に共通する特徴であり、卵かけご飯も例外ではない)。あんなに好きだったのに、可愛さ余って憎さ百倍、もう二度と顔も見たくない卵かけご飯。おかわりさえしなければ、すべてが水泡に帰すこともなかったのに…。そんな悲惨な経験をこれまで多くの人々が繰り返してきた。これは人生における大いなる損失の一つであろう。ともに道を歩まんとする同士におかれては、「過ぎたるは猶及ばざるが如し」を旨として卵かけご飯に対峙し、おかわりの誘惑に打ち勝たれんことを、卵かけご飯道師範として切望するものである。日々是修行。すべての道は卵かけご飯に通ず。喝!

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