卵かけご飯道入門・準備の章

卵かけご飯道 師範

藤田 勝

押忍! わたくしが『卵かけご飯道』の道場主、師範の藤田である。

時を遡ること10年ほど前。卵かけご飯道師範を名乗って啓発活動にいそしんでいたおかげか、九州のさるテレビ局からのお招きで卵かけご飯の特集企画に出演させていただいたことがある。先方から提示された企画は、『岡山からやってきた卵かけご飯道の師範が、卵かけご飯専用の卵を販売している養鶏場を訪ね、その場で卵を入手して卵かけご飯にして食す』というものであった。

スタートはテレビ局内の調理室。卵かけご飯用にお米マイスターが厳選した最高の米を炊く。炊き上がるや、湯気の立つご飯をしゃもじですくって撮影。これでロケ前の準備が完了(実際に放送された映像では、お米マイスターによる米選定の過程やその解説などが前半部分に挿入されていた)。

炊き上がったご飯を入れた炊飯ジャーを抱え、番組の進行役であるレポーターの西田さん(通称ニシやん)とともに、八女市山中にある養鶏場を目指す。うねる山道を登り続けて2時間あまり、もはや自分が地図上のどのあたりにいるのかさえ分からない山奥にその養鶏場はあった。

カメラが回り始め、養鶏場の社長とともに養鶏場内へ。ひとわたり養鶏場内の撮影が終了したのち、社長が卵かけご飯専用卵を手に再登場。持参した卵を私に渡し、「このトレーの上で割ってみてください」と促すのである。コンコン。んっ? 割れない!?。もう1回、コンコン。割れない!。殻が丈夫で、いつもの感覚のコンコンではヒビが入らない。さすが卵かけご飯専用卵、その実力の片鱗が卵の殻にさえ表れている。「これでどうだ!」いつもより力を込めて殻にヒビを入れ、卵を割る。トレーの上に現れた生卵。ここで社長が黄身の部分をおもむろに箸でつまみ「この卵の黄身はつまんで持ち上げても破れ出たりしませんから」と言いつつ持ち上げてみせるパフォーマンス。殻だけでなく中身にも実力の片鱗がのぞいている。黄身もすごいが、それにもまして私が驚いたのは白身だ。通常、殻を割られた生卵の白身は、周囲に向かってデロリ~ンと広がっていくものだが、この卵は違う。全然広がっていく気配がない。したがってトレー上の卵を水平方向から見ると、白身の厚みが1cmくらいある。これはもう間違いなく相当な実力者である。もちろんその味も推して知るべし、であろう。

ロケの終盤は、養鶏場わきの広場に机を用意し、社長、西田さん、私が並んで、用意したご飯と専用卵で卵かけご飯を作って食べるシーンを撮影。夕暮れをバックに「ごちそうさまー!」でこの日のロケは無事に終了したのであった。

卵かけご飯のあり方を問う

前置きが長くなった。しかしながらこの前置きは、この後に語るべき『卵かけご飯のあり方』というテーマに大きく関係してくるので、心に留め置いていただきたい。

昨今、テレビ番組で卵かけご飯にフォーカスした企画を時々目にすることがある。それらの多くは、私が九州で経験した番組に似て、素材(卵、ご飯、醤油など)へのこだわりを前面に押し出したグルメ志向の番組である。そもそも卵かけご飯はこれ以上ないくらいに単純な食物といっても差し支えないので、いきおい素材のクオリティーを追い求める方向に走りたい気持ちもわかる。そうしなければ番組として成立しにくい面はあるだろう(というか、それ以外の内容で成立した番組を見たことがない)。前置きでお話しした九州でのロケも、企画としてはテレビ局側から提示されたグルメ志向の内容であり、私は全面的にその企画に乗っかってロケを敢行した。

もちろん、卵かけご飯をグルメ志向でとらえること、そのためにひたすら素材を追求してみることも番組企画としてはありだと思う。良い素材を入手できればより美味な卵かけご飯を実現できるはずだし、そこにたどり着く過程は魅惑的で画にもなる。だが、しかし…。

ここで今一度、あなたが卵かけご飯を食しているシチュエーションを思い起こしてほしい。その卵は卵かけご飯を作るために購入されたプレミアムな卵だろうか。そのご飯は卵かけご飯にぴったりの銘柄米で、そのための炊き方をされたものだろうか。いずれも答えはノーだろう。おそらく卵は、たまたま冷蔵庫に入れてあるスーパーで買った10個入りパックのいつものやつだ。ご飯は昨日あたりに炊いて保温状態で残っているいつものご飯。違うか?(私の場合はそうです)。「おなかすいたなー、なんかないかなー」と思って冷蔵庫を開けてみたがめぼしいものもなく、そこに入っている卵が目に付いた、ご飯はまだ残っている、時間もないしこれからわざわざ何か作るのも面倒だし「じゃ、とりあえずこれでいいか・・」と思って作った卵かけご飯。このようなシチュエーションの中でこそ卵かけご飯には存在意義があるのであり、これこそが正しい卵かけご飯の在り方だと思うのだがどうだろうか。

『とりあえず』――これは、わが卵かけご飯道における重要なキーワードである。入念な準備を経て、吟味された食材で作る卵かけご飯は、おおむねテレビの中のお話であって、日常生活にはそぐわない。とりあえず、その場しのぎとして存在する料理、そこに卵かけご飯の価値がある。姑息(姑息とは『卑怯なこと』の意味で使われがちだが、正しくは『一時しのぎ』を意味する言葉である。覚えておきましょう)であってこその卵かけご飯、というわけである。

であるならば、素材の追及に心血を注いでみても意味はない。そこにある卵、そこにあるご飯でいかにより良い卵かけご飯を作って食すか、わが卵かけご飯道の神髄はこの一点に集約されるのである。

卵かけご飯への道

とりあえず冷蔵庫にある卵を取り出し、とりあえず食することの可能なご飯を用意し、とりあえず手近にある醤油を取ってくる。卵かけご飯道を全うするにあたり、準備すべきは以上である。それぞれの素材にこだわりたい方は、いくらでもこだわっていただいて結構なのだが、急に思い立って作る卵かけご飯、作業はすべて『とりあえず』ベースで進んでいくのが常であろう。ならば、それらの『とりあえず食材』をどのように生かしてより良い卵かけご飯に仕立て上げるか、これこそ、わたくしが卵かけご飯道師範として申し上げたい卵かけご飯道の中心教義にほかならない。

まずは『卵』。これは冷蔵庫にあるものを使う以上、食材として手を加えることは困難である。殻が混入しないようにじょうずに割って茶碗からこぼれ出ないようにご飯の上に落とす、我々にできることはそれだけだ。ただ、もしもひとつだけ手を加えられることがあるとすれば、冷蔵の温度のままで使用するより常温で使用したほうがより良い味わいを期待できると思われるので、時間に余裕のある方は2~3時間ほど室温に放置してから使用してみるのも一案かもしれない(そんな暇があるんなら、卵かけご飯でなくてもちゃんとしたものが作れるだろう)。

次に『醤油』。これまた、手を加えようのない素材である。醤油に関して注意すべきはただ1点、醤油さしの中が空っぽでないかどうかを確認しておくこと。卵かけご飯の作成過程に突入して「さあ、醤油を・・」と思ったときに醤油さしが空で、そこから醤油を探したり取り出したりのタイムラグが生じた場合、卵かけご飯の仕上がりにおいて致命傷となることを覚悟すべし。

最後に『ご飯』。これのみ、手の施しようのある素材である。とはいえそこは『とりあえず食材』、最初から炊き上げるのならともかく、炊飯ジャーに残っているご飯という前提なので、手を施せる範囲は限定的である。では何ができるか。

重要なのは、温度管理である。卵かけご飯を美味しくいただくうえで、温度はきわめて重要なファクターとなる。どうせいただくなら、美味しくいただきたい、そのためには冷えた卵かけご飯ではなく、ほの温かい仕上がりの卵かけご飯であってほしいと思うのが人情というものであろう。前述した『卵を室温に』は、このための方策の一つであった。しかしながら、これはなかなかに困難であることも前述のとおりである。となれば、冷えた卵温度に対応できるよう、ご飯を適切な温度に導く、これが我々にできるギリギリの戦略となる。ただし、ご飯の温度は単純に高ければ高いほど良い、というわけではないので注意が必要だ。なぜなら、黄身は65℃前後、白身は60℃前後で凝固し始めるからである。卵の凝固した卵かけご飯は卵かけご飯にあらず!。これぞ卵かけご飯道、基本中の基本なり!!。よって、ご飯の温度は電子レンジにより55~60℃程度として調理開始とされることをお勧めする。また、炊き立てのご飯で卵かけご飯に挑む僥倖に恵まれた場合には、ご飯を茶碗によそって30秒程度待ち、やや温度が低下したところを見計らって調理実践にお進みいただきたい。

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